造船の歴史

日本は造船業においてトップレベル

造船業において、日本は世界トップレベルの技術を誇っています。そもそも「人類の歴史=造船の歴史」と言っても、過言ではありません。海に面した都市となると、切っても切れない関係にあります。そのため宮城県でも造船業が発展してきました。
例えば川を渡るとします。浅瀬で距離も短い川となったら、普通に泳ぐこともできるでしょう。しかし荷物を背負ったまま泳ぐというのは、かなり難しい事。そこで丸太をくりぬいたり、枝を集めたりして筏を組み、工夫に工夫を重ねてきました。

より遠く安全に

しかし丸太をくりぬいただけの船では、近距離は可能でも遠距離は難しくなります。より遠く安全な航行を実現するために造られたのが、組立船でした。骨組みはしっかりと造られ、多少の悪天候でもびくともせず。また大型船となれば、一度に多くの人を運ぶこともできます。
動力は風で、帆を立てて航行。帆船はかなり頑丈で、諸外国への旅にも使えていたほど。追い風を利用したのは言うまでもなく、時には向かい風をも取り入れて船を動かしていました。また時代が進むと動力源は蒸気となり、船そのものも頑丈に。木製だった船も鉄で造られるようになりました。

明治で休息拡大

日本の造船業が本格的に動き出したのは、明治になってからのこと。蒸気で動く船を開発し、会社まで建てました。蒸気船開発から会社設立までにかかった時間は、わずか10年ほど。さらに海運会社も登場し、日本の物流は大きく様変わりしたのです。
そして明治20年代に入ると、日本の造船業は世界トップの仲間入りを果たしました。ほんの40年前まで、海外の蒸気船を見て腰を抜かしていた国とは、思えないほどの発展ぶりです。

根底にあるもの

急速過ぎる造船業の発展は、世界に追いつこうと必死であがいていた「明治」という時代背景もあるでしょう。しかし必死に食らいついていたとしても、わずか20年で世界トップに躍り出るのは簡単ではありません。
根底にあるのは、海と共に過ごしてきた日本人のDNAにあるのでしょう。明治以前、江戸時代の頃から、既に高い造船技術を誇っていた何よりの証拠と言えます。